「空気」の研究/山本七平

  • 2014.03.05
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こんな読むべき本を何故今まで誰も薦めてくれなかったんだよー!という気分な本です。まあ僕の努力不足ですが、やっぱり誰か少し先に歩いた人間が後ろを歩いてる人間に道標を残してゆかないと何も良くなってゆかないなあと思うので、僕はとりあえず書きます。

「『うやむやにするな』と叫びながら、なぜ『うやむや』になるのかの原因を『うやむや』にしていることに気付かない」のが私たち日本人だ!と言われれば何か感じるものがありますよね?
また良く言われる、2次大戦末期、負けるのは目に見えているのに、そして軍の上層部は特別なエリート達で判断力は十分あったはずなのに、戦後の裁判では口を揃えて、あのときはそうするしか無かったと述べた、というのが「空気」です。また、私たちの身近でも、本当は間違っていないのに、言っちゃいけない「空気」というのは日々接してますよね?
ただ、西欧にも「空気」と同じ概念はあるようですが、彼らはきちんとそれに流されない判断力を備えているようで、それは一神教のキリスト教の歴史において聖書が絶対的な存在であったからこそ、そこを起点に全てを相対化する事を訓練されてきたし、「中東や西欧のような、滅ぼしたり滅ぼされたりが当然の国々、その決断が常に自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々およびそこに住む人々は、『空気の支配』を当然のことのように受入れていれば、到底存続できなかっただろう」。

それを裏返せば、恐らくレヴィ=ストロースが発見したような豊かだけど閉じた未開の文化には、理由なんて聞かれても困るけれど守らないといけないものが沢山あるだろうし、同じ意味で本来島国で黒船までは国の存亡なんて意識もした事がない日本にも同様に、聞かれても困るけれど守らないといけないと思ってしまっている様々な事、というのがあったのだと思うし、「天皇」なんて存在がその最たるものでし、その状況はひとつの安定状態として何も問題は無かったのですが、「明治的啓蒙主義は、『霊の支配』があるなどと考えることは無知蒙昧で野蛮なことだとして、それを『ないこと』にするのが現実的、科学的だと考え、そういったものは否定し、拒否、罵倒、笑殺すれば消えてしまうと考えた。ところが『ないこと』にしても、『ある』ものは『ある』のだから『ないこと』にすれば逆にありとあらゆる歯止めがなくなり、そのために傍若無人に猛威を追い出し『空気の支配』決定的にして、ついに一民族を破滅の淵にまで追い込んでしまった。」

この後半の、部分はとても重要だと思うし、原発問題にしても同じ根っこから発生しているように思うのだけど、例えば「頭」と「心」が相互に影響し合って私たちは存在してますが、「心」なんて良く分らないものだから無視して「頭」だけで生きなさい!と言ったところで心の影響は失われず、むしろ心と向き合う事ができなくなり、コントロールできなくなり、心の病になってしまうように思いますが、それと似たような事かなと思います。

そいうは言っても聖書という絶対的なものがある世界と、八百万の神のように至る所に小さな?絶対が偏在している世界とでは違うので日本である事を前提にその空気の把握、克服方法を見つけるべく論は進んでゆき、「空気を醸成し、水(合理的にそれは違う!ということ)を差し、水という雨が体系的思想を全部腐食し解体し、それぞれを自らの通常性の中に解体吸収しつつ、その表面に出ている「言葉」は相矛盾する物を平然と併存させておける状態なのである。これが恐らくわれわれのあらゆる体制の背後ににある神政制だが、この神政制の基礎はおそらく汎神論であり、、、、そいういう形の併存において矛盾を感じない訳である。これが我々の根本主義ファンダメンタリズムであろう」(西欧の根本主義は聖書絶対)との把握をしているがそうだろうと思う。

そして克服方法のひとつとして、「描写も図像もひとつの思想を伝達しており、ある図像がどのような思想を伝達したかを研究する図像学イコノグラフィという学問もあり、黙示文学もこの観点から『言葉にする連続的な映像の積み重ねによる思想の伝達方法』として研究されねばならない。」「以上のような目で日本の新聞を読むとき、人々はそれが、ある種の思想を黙示録的に伝達する事によって、その読者に一切の論理、論証を受付け得ないようにして来た事の謎が解けるはずである」と言うのですが、新聞もテレビもそんなものだと諦めてしまっている所があるように思いますが、食品添加物の入ったものしか売っていないからまあ仕方がないと言っていると体はどんどん蝕まれてゆくのと同じで、そこに問題視をする眼差しを持たなければいけませんし、原発のその後だって、その眼差しを持てなかった故に、健全な方向に向かっているとは言えませんよね。

どこかにも書いてありましたが、「空気」というのは理屈なんかで考えているよりも上手に、素早く私達を導いてくれるものとして本来発生し今も持ち続けているものですからそれを否定する必要は全くなく、そうではなく、何か物事を論理的に決めないといけない時だけは、その空気から意識的に離れるようにできないと自らの首を絞めるし、日本人は歴史的な経緯の中で恐らく世界で最もそれが不得意になってしまったし、それが2次大戦を生んでしまったという自覚をし、少しでも克服をする努力をしないといけない、という事です。
そんな意味では阿倍さんの右傾化を国際的に心配されているようですが、僕は、阿倍さん自身がそうでないとしても向かう先に醸成される「空気」によって、空気に流され易い日本が悪い方向に向かう可能性は否定できない、という意味では心配はあるのかもしれないな、と(ちょっと良くわかってませんが)思います。