走ることについて語るときに僕の語ること

  • 2012.05.19
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おこがましいけど、僕の思考回路は少し村上春樹さんに似てるなと感じていました。
ただフルマラソンや果てにはトライアスロンを目指し毎日走って来た、それももし出来れば墓に「村上春樹 作家(そしてランナー)1949-20** 少なくとも最後まで歩かなかった」と刻まれることが望んでいることだ、という人間が何を考え、どう走って来たかを記した「だけ」の本。
前書きにある「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」つまり「『もう駄目』かどうかは本人の裁量に委ねられている」からマラソンを続け、それを通じて大切な事を学んできたと。
一方で、若くして華々しくデビューしても歳を重ねて輝きを失ってしまうような作家ではなく、逆に歳を重ねるごとによりよい作品を生み出せるように走ってきた、という言葉もあり、それは全く僕の設計という仕事にも重なることでもあり、僕もそうありたいと思って来ました。
歳をとると「経験」だけは積み重なり、社会や組織の中ではそれはそれで大切でもあるから、だから逆に歳を重ねるに当たって、必要以上の努力を忘れてしまっているんじゃないかと常々思います。
だから、もちろん体力や集中力、そして感性なんてのは若い方が強かったりしますから、特に芸術系では若い頃に輝き、そしてその彼彼女も、歳を重ねると普通のひとに変わってしまっていたりする。
でも村上春樹さんみたいな方がいると、歳を重ねることにより前向きな気持になれます。と書きたいところだけど、あんな毎日走ったり自分を追いつめたりできません^^;
ここ数年、週2回泳いでいますが、まだまだ足りないなというか、ちょっと本気で走ってみたくなりました^^