現代都市のための9か条/新建築10月号

  • 2011.10.05
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今月はタイトルの小論/西沢大良/が圧倒的な存在感だった(作品たちも弱く)のでそちらについてのみです。
普段より多い誌面で、また続きがあるそうですが、概ねの骨子は読めたように思います。
現在の近代都市をつくってきた「都市計画」は「内部的・短期的」であったために本来「外部的・長期的」であるべき所での諸問題を先進国で生じているにもかかわらず、新興国で同じ轍を比較にならない規模で繰り返そうとしている。60年代にアレグザンダーたちが都市計画の単一主体的なあり方などの欠陥を指摘したにもかかわらずそれはただ思考停止を招いただけに終わり、経済や投機のために無批判に近代都市が増殖してしまっているのが現状である。
そして長期的には「人口流動」が必ず起きるという事を軽視した結果が新しいスラムの発生となり、それを抑えようと開発をすればするほど新しいスラムが発生せざるを得ないとういうのが近代都市計画の限界であるので、「地域」「主体」等の発想を根本的に改める必要がある、という所までです。
確かに都市計画というのは長期的に人口の密度が固定化出来る事を前提としているし、それに疑問を抱いては「計画」は出来ないけれど、東京への一極集中や地方都市の没落を見れば分かるように高密度につくられたもの同志での密度の移動が必然であって、そこに様々な破綻に至る程の大きな問題が起こりつつあります。
でも何故反省しないのだろう?と思いますし、そこに、植民地やアメリカという国の成り立ち(先住民駆逐)に無反省というか今更反省できない、という構造が重なって見えます。つまり人工的に高密度をつくり続ける事こそが文明なのでありそこに反省は不要だというような。
概ねすっと読めたのですが、1点コンパクトシティについて「中心集約型」に戻そうとする事であり間違いであると書かれていますが、この寂れた地方都市の比較的中心に住む私としてはひっかかりました。もちろんある種の整備や開発を伴う事は反対ですが、スプロール化してしまったものへの廃棄や規制のみで行なえる事であれば本論で問題としていない所での実現ができるのではないのかな、なんて思いました。
でも都市計画って一体なんなんだろう?と思います。専門家を名乗っていても、結局もっと大きな力の前で「べき論」を語ってないですよね。