村野藤吾の建築

  • 2007.11.25
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実は明日、いくつかの建築を見学しに行く予定の中に、建築家として最も尊敬する村野藤吾さんの建築もあり、少し本を読み直したりしてました。

戦前戦後のモダニズム建築の大きな流れの中で、とても異彩を放ちながら多くの優れた建築を残されていますが。
まずモダニズムと大きく違うところは、師匠の渡辺節さんから様式建築を叩き込まれた延長として自分の建築をつくりましたが、何も形を様式的にしたというのではなく、様式というもののなかには、素材や陰影などの物を見るきめ細やかさがあり、それを大切にしてきたということです。村野さんの言い方で言うと「様式の上にあれ」ですし「歴史はフィクション」と言われるように、学ぶべき対象ではありながら、自由に開拓できる対象でもあると考えていたようです。
次に、ガラス(特に大きな)を毛嫌いしていますが、工業的に大量生産ができ、冷たい表情ながらも、その透明性にて、多くの建築家や大衆を魅了してしまうところに大きな危機感を感じていたようですが、一方ではモダニズム建築には大きなガラスは不可欠な要素だった訳ですが。。
モダニズム以降の直線多用の現代建築の傾向は単純生産の産物であり、本来建築が人々へ与えるべき、精神的な良い影響がないばかりか、ストレスを与えるのみだと考えていたようです。
3つ目に、地面から生えたような建築を好んだのですが、モダニズムは、「ピロティ」に象徴されるように、どこに建っても変わらない、という意思を含んでいたことと比較するとスタンスの大きな違いが分かります。

最後に、時間の経過に対する考え方。
モダニズムは基本的に出来た瞬間のままの外観が続くという前提で考えられている面があり、だから真っ白で、経年の汚れは汚れにしかすぎませんが、村野さんは、建築にうまく歳をとらせようという余裕を与えることを心がけられていて、この、広島の平和記念聖堂(私の最も感動した建築)をつくった時も「これから10年後になったら何とか見られるようになりましょう」と述べたあたりにそのスタンスが分かります。
また戦後初(平和記念資料館とならび)の重要文化財に指定されましたが、実はとてもローコストで、さらに、建設に奔走している神父の姿に打たれ、全く設計料をもらわずに設計されたそうです。
とにかく、人間の精神に深く根ざして建築に向き合っていたと言えますし、モダニズムは(当初はもちろん同じくしていた部分もありましたが)徐々に形式的な、人間の精神を置き去りにしたような方向に向かってしまった中で、村野さんは、それに大きな疑問を感じ、ヒューマニズムを持って戦い続けたのだと思います。
モダンデザインを見慣れてしまうと、滑稽にも感じかねない建築たちですが、その空間に身を置けば、村野さんがあれだけのエネルギーで建築を生み出し続けたことに納得できます。