晩年様式集/大江健三郎

  • 2013.11.21
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大江さんには、建築家原広司と親しいらしい、というくらいしか興味はなかったけど、新聞に載っていた「恐らく最後の小説を、私は円熟した老作家としてでなく、フクシマと原発事故のカタストロフィーに追いつめられる思いで書き続けた。しかし70歳で書いた老人に希望を語る詩を新しく引用してしめくくったことも、死んだ友人たちに伝えたい」というような事が、しばらく前に新国立競技場に異議を唱えた老建築家、槇文彦となんだか重なり、心境を知ってみたくなった、という事です。
妹と妻と娘による「三人の女たちによる別の話」という、大江作品に描かれ(迷惑し)てきた立場から色々と綴っているところから色々と浮き彫りになって来ておもしろいのだけど、何故終わり近い人生で敢えて、反原発デモの最前列に立つのか?が感じられるところをいくつか。
軍国主義に抵抗していた中野重治の、「戦争で赤ん坊を亡くした母が『わたしらは侮辱のなかに生きています』」と記した事を引用しつつ、「なによりこの母親の言葉が私を打つのは、原発大事故のなお終息しないなかで、大飯原発を再稼働させた政府に、、、私はいま自分らが侮辱されていると感じる。。。。私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きてゆけるはずです」と原発デモの大会で語られたそうです。
「311後、すぐにドイツは『原発利用に倫理的根拠はない』として国の方向転換を決めました。。ドイツの政治家たちは次の世代が生き延びることを妨げない・かれらが生きてゆける環境をなくさないことが、人間の根本の倫理だ、と定義しています。この国の政権が、その行動の根拠に、政治的経済的なものしか置いていないのと対比して下さい」
そしてしめくくりとした詩とは、四国の森で育った少年に、母が
「永く謎となる 言葉を続けた  
私は生き直す事ができない。しかし  
私らは生き直すことができる」 と言った。
ずっと理解できなかったけれど、老いてから孫ができ、自分の老いと対照的に
「ここにいる一歳の 無垢なるものは、  
すべてにおいて 新しく、 
盛んに 手探りしている。」のを見て
「私のなかで 
母親の言葉が、 
はじめて 謎でなくなる。 
小さなものらに、老人は答えたい、 
私は生き直すことができない。しかし  
私らは生き直すことができる。」と。
僕自身も、最初は原発再稼働やむなし、と思っていたのだが、上の言葉を借りれば、その後の対応の、国の余りの倫理観の欠如に、これは止めさせるしかないな、と変わってきました。
でも槇さんの時も思ったけれど、同じように思う、青年、壮年もいるはずなのに、彼ら(僕も含め)が立上がらないから老年が立つしかない状況をつくってしまっているように思うし、それは本当は反省しなければいけないことじゃないかと思います。