新建築6月

  • 2012.06.02
  • BLOG


東京スカイツリーですね〜個人的には感じるものは無いのですが〜w
敷地が小さかった事もあったようですが、あの高さをあの細さで実現したというところがデザインの意図でもあったようで、つまりは技術力がすごいぞと。確かに施工も含めすごい!とはもちろん思いますし、実物に近寄れば(正月頃浅草からちらりと見たけど)高さに対する感慨もあるのでしょうけど、でも何で人間は高さに「憧れ」るのでしょうねえ??
石上さん、中山さん、長谷川さんという若手建築家の対談が「建築にできることー新たな役割と広がり」として載ってましたが、その高さ(つまりは可能性の1つですよね)同様に、何で人間って新たな可能性に「憧れ」るんだろうか?何となくどちらにも感じた違和感の根源はその?にあるように思いました。
何故憧れるか?というのは何故美しいものに惹かれるか?同様に答えに窮するけれど、そんな可能性に対する憧れを、「誰のために」「具体的に何を」「どの程度」追求するべきかどうか?という議論がなされなさすぎるんじゃないかと思います。
具体的には、そんな頑張った高さのツリーが必要だったのか?
建築が、そんな誰のためになっているか(建築家のエゴのため?)分からない事を追い求めるべきか?
宇宙への研究や開発なんてそんなに国家が大金を使って取組むべきなのか?
などなど。正直僕にはどれも???なんです。
でも、実はどれも、作る側、為す側の立場に考えれば、どこまでも追求すべき何ものか、だという事が簡単に分かります。
それは原発も根本の部分では同じなのかもしれません。
コンセンサスなき可能性の追求というか。
まあ大きい話は置いておいても、先ほどの3名の建築家が話している事は字句を追って読めば、「なるほどな」と思う事は多いけど、ただ少し引いて見れば、とても恣意的(もしくは自己満足的)に読める。つまり根本でのコンセンサス無き、砂上の楼閣的にも見える。
もちろん可能性の追求はすべきだし、それができるのは人間存在の大切な価値だと思うけれど、だからといって何でもやればいいってものじゃないと、たまに反省してみた方がいいんじゃない?と言いたいだけでした。
でもスカイツリー昇るの高っいらしいですねw