新建築5月

  • 2013.05.14
  • BLOG


三菱地所+隈研吾設計の歌舞伎座タワーGINZA KABUKIZAです。
付された隈さんの「モダニズムからヤンキーへ(アゲアゲアーアーバニズムとしての歌舞伎座)」を読み解かなければいけないのですが、まずはかつての成長時代はエリートが先導して他はそれについて行って
おこぼれで潤って良しとしていてそれがモダニズムの一面でもあったけれど、今はまさに縮小の時代であり、乗るべき「大船」がないから地元に帰り、仲間と、歴史とつながり、それは祭り的であり、歌舞伎も元はと言えばそんな本質を持って生まれてきたし、エリートと対比して、落ちこぼれのヤンキーの文化である、と。で、祭り的だからアゲアゲだとw。
そして、今回超高層ビルに寄生したような形で復活するのですが(賛否あるでしょう)、建替え前の吉田五十八の設計はRC造だったけれど高層ビルとセットで鉄骨造となることで開放的なつくり方が可能となって、また経済的にも無理がないので、ヤンキー時代に相応しく地域に開放もしやすくなった、とのことだけど、基本的には吉田五十八の設計をある程度忠実に再現するに留め、つまり隈さんは何か新しい事をやった訳ではないのですが、エリート的、モダニズム的であるなら今の時代の先端を反映した新しいものを創造すべきだったけれど、もうそういう時代ではないので、創造を必要とせず、先代が立派につくって来たものを踏襲しつつ、ただ今の時代に合わせて、ヤンキー化をしただけ、という事のようです。
この設計を依頼されたときに、オバサン目線「昔の歌舞伎座はやっぱし良かったわよね」をとても恐れたそうですが、やはり隈さんをもってしても、その目線に取り入るしかなかったということでしょうw。
でもこうやって建築表現が経済原理の奴隷のようになってしまうのは、特に東京ではやむを得ない面はあると思うのですが、地方はそこまでしなくてもやり方はあるように思われるけれど、こういった東京の例ばかり目にすると真似したくなってしまうのでしょうか。
これから増々東京の独り勝ち状況が加速して、地方の増々の衰退が進まざるを得ないと思うので、東京での事は全く参考にならん、と肝に銘じておかないと恐いですね。